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宮沢賢治
場所:花巻市 羅須地人協会
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画像提供:まるこさん
鈴木善幸
場所:山田町 中央公民館
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松尾芭蕉
場所:平泉町 中尊寺
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画像提供:飯坂陽治さん
建部清庵
場所:一関市 一関文化センター
彫刻: 喜多 敏勝
設置: 1983年(昭和58年11月)
一関にてオランダ医学の興隆に尽した二代目由正で、「民間備荒録」「備荒草木図」を著わし、杉田玄白とも親交のあった名医です。 -
画像提供:さとうろくぞうさん
大島高任
場所:釜石市 釜石駅
江戸時代末期の鉱山学者。
良質の鉄鉱石が産出する釜石で西洋式高炉を建造、鉄鉱石製錬による本格的連続出銑に成功する。
明治23年(1890年)には日本鉱業会の初代会長に就任。
後年、那須野の開墾にも携わり、葡萄園と葡萄酒醸造所の設営に係る。 -
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高村光太郎
場所:花巻市 花巻北高校
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関口松太郎
場所:宮古市田老総合事務所(旧田老町役場)
大正・昭和前期の田老村村長。
昭和8年の三陸大津波があった際、大防波堤を造り上げた。
2011年の東日本大震災はこの防波堤をも超える高さの津波で被害は甚大であったが宮古市田老区の被害率は相対的には少なかったとのこと。 -
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柳田国男
場所:遠野市・とおの昔話村
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画像提供:さとうろくぞうさん
千葉胤秀
場所:一関市花泉庁舎
江戸時代後期の算術家。著書も多い。 -
画像提供:さとうろくぞうさん
三鬼隆
場所:釜石市 昭和園グラウンド
昭和期の実業家。岩手県花巻市出身。
釜石製鉄所庶務部長をへて、八幡製鉄所所長。日本製鉄社長。全国鉄鋼復興会議議長、経済復興会議副議長、日本鉄鋼連合会会長などを歴任。鉄鋼界の大御所といわれた。
日航機〈もく星号〉大島墜落事故で遭難死した。 -
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佐藤猊巌
場所:一関市 猊鼻渓
漢学者。猊鼻渓の開拓に尽力。 -
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高平小五郎
場所:一関市 釣山 釣山公園
一関藩医・野崎三徹の三男。日露戦争当時駐米公使として、日本海海戦 戦勝後アメリカに「中立の友誼的斡旋」を申し入れ、平和交渉を推進してポーツマス条約の締結に尽力され、日本近代外交の一翼を担われた方です。
彫刻: 佐藤 紘行
設置: 1930年(昭和5年4月) -
画像提供:飯坂陽治
大槻文彦
場所:一関市 竹山町 一関市役所
彫刻: 佐藤 紘行
設置: 1982年(昭和57年11月)
明治期の国語学者で前述。駅前の賢人像より2年ほど早く作られ、彫刻家も異なります。 -
画像提供:飯坂陽治さん
大槻玄沢(大槻三賢人)
場所:一関市 一関駅
彫刻: 西村 栄一
設置: 1984年(昭和59年6月)
一関藩医・大槻玄梁の長男で、建部清庵に師事し、江戸で杉田玄白から医術を、前野良沢からオランダ語を学び、仙台藩の藩医に抜擢された。また私塾を開いて多くの人材を育成し、オランダ語の入門書「蘭学階梯」の著述や「解体新書」の改定も行った -
画像提供:飯坂陽治さん
大槻磐渓(大槻三賢人)
場所:一関市 一関駅
彫刻: 西村 栄一
設置: 1984年(昭和59年6月)
大槻玄沢の次男で、江戸時代後期から幕末に活躍した漢学者ですが、後に西洋砲術に関心を持ち江川太郎左衛門塾の学頭にもなる。
また、ペリー来航時には開国論を建議し、戊辰戦争では徹底抗戦を主張したが幕軍に敗れた後には投獄されたこともあります。 -
画像提供:飯坂陽治さん
大槻文彦(大槻三賢人)
場所:一関市 一関駅
彫刻: 西村 栄一
設置: 1984年(昭和59年6月)
大槻磐渓の三男で、日本初の近代的国語辞典「言海」を編纂した国語学者です。宮城師範学校(現・宮城教育大学)校長、宮城県尋常中学校(現・仙台第一高校)校長、国語調査委員会主査委員なども歴任した人物 -
柵瀬軍之佐
場所:平泉町 平泉文化史館