-
画像提供:飯坂陽治さん
楠本長三郎
所在: 吹田市山田丘 大阪大学吹田キャンパス・楠本会館
彫刻: 広井 吉之助
設置: 1968年(昭和43年11月)
長崎県の大村藩医家の生まれで、ドイツに留学した内科医。府立大阪医科大学学長就任以来帝大昇格を実現すべく奔走し、大阪帝国大学を創設。第2代総長となり、微生物病研究所、産業科学研究所などを設置し、大学拡充に貢献された方です。また、各学部の首席卒業生には「楠本賞」が贈られています。 -
画像提供:飯坂陽治さん
真島利行
所在: 大阪市吹田市山田丘 大阪大学吹田キャンパス・産業科学研究所
京都市生まれの有機化学者で、ドイツ、イギリスに留学し、帰国後漆の主成分であるウルシオールの分子構造決定・合成に成功した方です。また、大阪帝大の第3代総長を歴任されています。(メガネはいたずら!) -
画像提供:飯坂陽治さん
赤堀四郎
吹田市山田丘 大阪大学吹田キャンパス・蛋白質研究所
静岡県出身の生化学者で醤油の香り成分の研究で業績があり、大阪大学第7代総長を務め、基礎工学部の創設や千里丘陵へのキャンパス移転に尽力された方です。 -
画像提供:飯坂陽治さん
岡田 実
所在: 吹田市山田丘 大阪大学吹田キャンパス・岡田メモリアルホール
彫刻: 盛岡 勇夫
設置: 1968年(昭和43年7月)
工学研究者で、戦前わが国最初の核融合実験研究を開始したり、プラズマ研究や超高電圧電子顕微鏡の開発で大きな業績を残された方で、大阪大学第8代総長時代に溶接工学研究所を設立。同研究所のあたりには岡田先生の寄付による多数の桜が毎年見事な開花を見せているとか・・・。 -
画像提供:飯坂陽治さん
上野誠一
所在:吹田市山田丘 大阪大学吹田キャンパス・応用化学会議室
戦後戦災で研究施設の大半が失われた時期に大阪大学工学部長に就任した応用化学研究者で、研究は油化学分野。特に米糠油の成分や精製法の研究を行い、食用油や菓子・人造バターなどの食品原料や化粧品原料などの工業化に貢献された方です。 -
画像提供:飯坂陽治さん
K.W.ハラタマ博士
所在:吹田市山田丘 大阪大学吹田キャンパス・医学部資料展示室
オランダの化学者ハラタマ博士(K.W.GRATAMA/1831~1888)は幕末の激動期に大阪で「舎密(せいみ)局」を開設し、講義と化学実験による本格的な近代化学を教えた方で、その流れは大阪大学にもつながっています。ハラタマ博士の胸像は大手前のNHKそばの舎密局跡にもあります。 -
画像提供:飯坂陽治さん
緒方洪庵
所在:吹田市山田丘 大阪大学吹田キャンパス・医学部資料展示室
緒方洪庵(1810~1863)は岡山の下級武士の生まれで、大坂、江戸、長崎で蘭学を通して医学を主軸に学び、大阪で適塾(蘭学塾)を開塾。医師としては天然痘に対する種痘事業やコレラの治療に尽力し、また教育者としては多くの開明的な人材を育て明治維新の一つの原動力となった方です。適塾は大阪大学の源流となっています。 -
画像提供:飯坂陽治さん
佐多愛彦
所在:吹田市山田丘 大阪大学吹田キャンパス・医学部資料展示室
佐多愛彦氏(1871~1950)は鹿児島県の出身で、ドイツに留学して病理学、細菌学を学び、結核の研究で知られ、大阪府立医学校長、大阪医大学長を歴任し、大阪大学の礎を築いた方です。 -
画像提供:飯坂陽治さん
石原修
所在:吹田市山田丘 大阪大学吹田キャンパス・医学部資料展示室
石原修氏(1885~1947)は兵庫県伊丹の出身で、労働社会衛生学を社会政策的に実践した草分けの一人であり、女工と結核の蔓延調査などから労働環境の重要性を指摘し工場法の施行に貢献した方です。大阪大学では衛生学の教授として現場見学をまじえた労働社会衛生学や大気汚染調査などの実践的調査を取り入れた環境衛生学は医学生に大きな影響を与えたとのことです。 -
画像提供:飯坂陽治さん
西尾幾治
所在:吹田市山田丘 大阪大学吹田キャンパス・医学部事務棟
西尾幾治氏は大阪医科大学の事務官で、帝国大学への格上げ誕生にむけ多大の努力貢献をなされ、帝国大学の初代事務官を務められた方です。また、大阪帝国大学創立史を編纂されています。 -
画像提供:飯坂陽治さん
曲直部壽夫
所在:吹田市藤白台 5-7-1 国立循環器病研究センター 図書館の庭
設立: 2002年(平成14年2月)
曲直部壽夫(マナベ・ヒサオ/1921~1996)氏は大阪府出身、大阪帝国大学医学部卒業。 我が国の心臓血管外科のパイオニアで、「国循」の第2代総長を務め、臓器移植や人工臓器の開発に力を注ぎ、日本の心臓外科手術の礎を作った方です。 -
画像提供:飯坂陽治さん
吉田常雄
所在:吹田市藤白台 5-7-1 国立循環器病研究センター
設立: 1984年(昭和59年6月)
国立循環器病センター「国循」は脳卒中と心臓病の高度医療に取り組む世界有数の施設で1977年に開設。吉田常雄氏は初代総長(1977~1983)を務めた方です。 -
画像提供:まるこさん
長岡半太郎
場所:吹田市 大阪大学吹田キャンパス
-
画像提供:びがろうさん
児島惟謙
場所:吹田市 関西大学 関西大学博物館
吹田市山手町3-3-35関西大学千里山キャンパス簡文館前
設置時期:1965年11月に関西大学創立80周年を記念して校友から寄贈
銅像製作者:今村輝久(1918-2004)
設置経緯:児島惟謙(1837-1908)は宇和島市出身。1865年、長崎に学び、坂本竜馬や五代友厚ら諸国の志士と交わる。1867年に脱藩して上京し、勤王運動に従う。1869年に仕官して新潟・品川県を経て、1874年に司法省に入り、大阪・福島上等裁判所、長崎控訴裁判所長を経て、1883年に大阪控訴裁判所長となる。1886年の関西大学創立では指導的立場にあった。1891年の大津事件では、大審院長として司法権の独立を護る。 -
画像提供:びがろうさん
久井忠雄
場所:吹田市 関西大学 100周年記念会館
設置時期:1993年8月24日の命日に除幕。
銅像製作者:浦山一雄(1933-)は日展評議員
設置経緯:久井忠雄(1905-1991)は大阪府出身。1931年、関大法文学部を卒業。在学中の1929年に高等試験司法科試験、1930年に高等試験行政科試験にも合格。卒業後、内務省に採用され、中央および各地の警察で要職を歴任。1945年に連合軍総司令部(GHQ)により職務罷免となり、1946年に弁護士登録をする。1963年から1991年まで28年にわたって関西大学の理事長を務め、専務理事在職期間(11年)をあわせると39年に及び、戦後の関大が発展・拡充していく中心的立場にありました。 -
画像提供:びがろうさん
楠本長三郎
場所:吹田市 大阪大学
-
画像提供:びがろうさん
佐多愛彦
場所:吹田市 大阪大学
-
画像提供:びがろうさん
山岡順太郎
場所:吹田市山手町3-3-35 関西大学千里山キャンパス第2学舎1号館前
設置時期:戦前の胸像は戦時中に供出され、現在建っているのは1965年11月に関西大学創立80周年を記念して再建。
銅像製作者:新谷英夫(1907-1995)
設置経緯:山岡順太郎(1866-1928)は金沢市出身。金沢医学校中退。1898年、大阪商船株式会社に入社し、大阪商船の発展の基礎を築く。また、当時衰退していた大阪鉄工所(日立造船の前身)の社長となり、見事再建に成功し、大阪財界に名を馳せた。大阪商工会議所第8代会頭(1919-1923)。関西大学第11代学長(1922- 1925)。千里山学舎建設、 大学昇格などの大事業を遂行、関大中興の祖といわれる。 -
画像提供:びがろうさん
岩崎卯一
場所:吹田市 関西大学 岩崎記念館
大阪府吹田市山手町3-3-35関西大学千里山キャンパス岩崎記念館前
設置時期:1976年11月に門下生により寄贈
銅像製作者:新谷英夫(1907-1995)
設置経緯:岩崎 卯一(1891-1960)は佐賀県武雄市出身。神戸警察署で通訳を務めながら関西大学専門部法律学科に通い、在学中に弁護士試験に合格。1915年卒業後、関大初の留学生としてアメリカに派遣され、コロンビア大学で社会学および社会立法学を学び、ドクター・オブ・フィロソフィーの学位を得た。1921年に帰国後、関大初の専任教授となった。関大に在職すること39年に及び、その間、三期にわたって学長(17・19・20代)を務め、新制大学院の設置をはじめとして、本学の教育や研究の振興に大いに寄与。 -
画像提供:びがろうさん
石坂泰三
場所:吹田市 モノレール万博記念公園前駅前