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春日局
場所:春日 礫川公園
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嘉納治五郎
場所:本郷 講道館
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鳩山一郎
場所:音羽 鳩山会館
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鳩山一郎・薫夫妻
場所:音羽 鳩山会館
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鳩山和夫・春子夫妻
場所:音羽 鳩山会館
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画像提供:オーロラさん
前川喜作
場所:目白台 和敬塾
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桂太郎
場所:拓殖大学 文京キャンパス A館前
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井上円了
場所:東洋大学 白山キャンパス
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画像提供:HARUKOさん
樋口一葉
場所:本郷 法真寺
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嘉納治五郎
場所:音羽 教育の森公園(占春園)
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浪越徳次郎
場所:日本指圧専門学校
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画像提供:飯坂陽治さん
古賀忠雄
場所:本駒込 吉祥寺
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大井玄洞
場所:文京区 江戸川橋公園
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画像提供:オーロラさん
塩川正十郎
場所:白山 東洋大学 白山キャンパス
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画像提供:飯坂陽治さん
跡見花蹊
場所:文京区大塚 跡見学園
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画像提供:飯坂陽治さん
岡本巳之助
場所:文京区本郷 (株)オカモト本社
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画像提供:飯坂陽治さん
高橋満喜
場所:小日向 貞静学園
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画像提供:飯坂陽治さん
高橋満喜
場所:小日向 貞静学園短期大学
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画像提供:飯坂陽治さん
高橋紀子
場所:小日向 貞静学園短期大学
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画像提供:NANAKOさん
小川啓三・幸子
場所:文京区大塚 護国寺
コージコーナーの創業者 -
画像提供:飯坂陽治さん
ヒポクラテス
場所:文京区 東京医科歯科大学附属病院
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画像提供:サムライ銅像研究所さん
比留間安治
場所:文京区本郷 昭和第一高等学校
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あんぱんマン
場所:本駒込6 ㈱フレーベル館
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マタイ
場所:日本福音ルーテル小石川教会
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画像提供:たぐってぃさん
玉川兄弟(庄右衛門、清右衛門)
場所:文京区 東京都水道歴史館 2F
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画像提供:飯坂陽治さん
中原徳太郎
場所:文京区向丘 日本医科大学教育棟
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画像提供:飯坂陽治さん
野口英世
場所:文京区向丘 日本医科大学教育棟
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画像提供:飯坂陽治さん
長谷川泰
場所:文京区向丘 日本医科大学教育棟
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画像提供:オーロラさん
後藤新平
場所:拓殖大学 文京キャンパス A館ロビー
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画像提供:オーロラさん
新渡戸稲造
場所:拓殖大学 文京キャンパス A館ロビー
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古井喜実
場所:東京日中友好会館
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廖承志
場所:東京日中友好会館
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画像提供:林久治さん
正力松太郎
場所:文京区本郷 ・講道館 1階フロント
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画像提供:林久治さん
岩崎彌太郎
場所:文京区湯島 三菱史料館の1階展示室入口
本像は大熊氏広が1890年代に、岩崎家の依頼で製作したものです。岩崎像は日本各地に沢山あります。本像の出来栄えは特に素晴らしく、「さすがに岩崎家だ!」と感じられます。 -
画像提供:林久治さん
成瀬仁蔵
場所:文京区目白台・日本女子大学成瀬記念館2階
設置時期:不明
銅像製作:高村光太郎(1933年除幕)
設置経緯:成瀬仁蔵(なるせじんぞう、1858-1919)は現在の山口市生まれ。明治・大正時代のキリスト教牧師、女子教育の開拓者の一人。1901年、日本女子大学校(現・日本女子大学)を創設。 -
画像提供:林久治さん
ヨセフ(受けとめるヨセフ像)
場所:東京カテドラル関口教会ルルド洞窟横
銅像製作:関谷光生(1947-)
設置経緯:関口教会には、ルルドを再現した無原罪の聖母の像がグロットに祭られています。その横のヨセフ像が「受けとめるヨセフ」です。
聖母マリアは夫・ヨセフの知らないところで妊娠します。ヨセフは悩み、ひそかに縁を切ろうと決心しましたが、天使がヨセフにマリアは神の子を身ごもったと語ったため、すべてを受け止めたというエピソードです。 -
画像提供:林久治さん
西周
場所:文京区関口・独協中学高等学校入口・向って左
設置時期:不明
銅像製作:不明
設置経緯:西周(にしあまね、1829-1897)は石見国津和野藩の御典医の家柄。江戸時代後期から明治時代初期までの啓蒙思想家で、幕臣、官僚であった。1883年、獨逸學協會學校(現・独協学園)の初代校長に就任。 -
画像提供:林久治さん
天野貞祐
場所:文京区関口・独協中学高等学校入口・向って左
設置時期:不明
銅像製作:不明
設置経緯:天野 貞祐(あまの ていゆう、1884-1980)は、神奈川県生まれ。大正・昭和期の日本の哲学者・教育者。獨逸学協会学校中学校、一高、京都帝大卒。第二次世界大戦前は京都帝国大学教授。戦後は第一高等学校校長、文部大臣(第3次吉田内閣)を務めた後に、1964年獨逸学協会学校を母体として創立された獨協大学の初代学長を務めた。 -
画像提供:林久治さん
佐佐木勝造
場所:文京区小石川二丁目、小石川大神宮仮殿
設置時期:不明
銅像製作者:不明
設置経緯:佐佐木 勝造(ささき かつぞう、1894 - 1973)は、北海道出身の実業家。丸勝佐佐木土木株式会社の創業者.
1920年、樺太へ渡って拓殖計画や軍事建設等に携わり財を成す。しかし1945年のソ連対日参戦の際、財産も没収されたが、札幌で引揚者を束ねて再起する。 昭和30年頃、東京都小石川に移住し、高度経済成長の流れに乗って高層住宅などの建設事業と共に社寺への奉賛活動を盛んに行う。1966年、佐藤尚武、松永東らの援助を受け、伊勢神宮から異例の特別神璽を奉戴し、小石川大神宮を創建する。