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画像提供:飯坂陽治さん
ジョサイア・コンドル
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学工学部11号館
彫刻:新海竹太郎
設置:1922年(大正11年)
ジョサイア・コンドル(Josiah Conder:1852~1920)はロンドン生まれで建築学を学び、1877年に来日。工部大学校(現・東京大学工学部)の造家学科教師として建築教育に従事しつつ、上野博物館、鹿鳴館、東京大学法文科校舎などを設計した。辰野金吾ほか創成期の日本人建築家を育成し、明治以降の日本建築界の基礎を築いた方です。 -
画像提供:飯坂陽治さん
濱尾新
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学法文2号館前
彫刻:堀 進二
設置:1932年(昭和7年)
濱尾新(1849~1925)は但馬・豊岡藩士の子で、明治・大正期の教育家、教育行政家、政治家。 英仏学を修め、文部省に出仕し、ヨーロッパへ留学。東京大学創立時より法理文3学部の副綜理に、次いで帝国大学総長となり、初期の東大運営に尽力された方です。その後文部大臣や枢密院議長などを歴任されておられます。 -
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古市公威
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学工学部11号館
彫刻:堀 進二
設置:1937年(昭和12年)
古市公威(1854~1934)は姫路藩士の子として江戸で生まれ、開成学校で学んだあと、文部省留学生としてパリ大学に留学。帰国後、内務局土木局技師として現場勤務する傍ら東京大学で土木学を教え、1986年には帝国大学創立と同時に工科大学土木工学科教授兼工科大学長に就任した。土木局の業績としては特に横浜港に日本最初の大船の繋船壁を設計し完成させた方です。 -
画像提供:林久治さん
上野英三郎とハチ公
場所:東京都文京区弥生1丁目・東京大学農学部正門を入って左側
除幕日:2015年3月8日
制作者:植田努(1974年埼玉県生まれ)は動物彫刻の第一人者。
設置経緯:ハチ公(1923-1935)の没後80年の節目に除幕。ハチ公は有名でも飼い主の上野博士が東大教授だったことが知られておらず、それを憂えた有志が立てたそうです。 -
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上野英三郎
場所:東京都文京区弥生1丁目・東京大学農学部農学資料館内
制作時期:1930年
制作者:北村西望(1884-1987)
設置経緯:上野英三郎(1871-1925)は東大農学部農学科教授。三重県出身。1895年に農科大学農学科を卒業した。農業土木及び農具研究を専攻、1900年に講師となり1908年より二年間、ドイツ、フランスに留学した。1911年に教授となり、在職のまま1925年に没した。「忠犬ハチ公」の飼い主としても知られる。 -
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ヨハネス・L・ヤンソン
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学農学部動物医療センター
彫刻:大熊氏廣
設置:1902年(明治35年)
ヨハネス・ルードヴィッヒ・ヤンソン(Johanes Ludwig Janson/1849~1914)はベルリンで獣医学、解剖学、生理学等を学び、獣医学の外国人教師として来日。現在の動物医療センターの前身の家畜病院で、近隣の動物の診療活動の実践を通して獣医臨床学の実地教育に多大の貢献をされた方です。 -
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ユリウス・スクリバ
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学七徳堂前
彫刻:長沼守敬
ユリウス・スクリバ(Julius Karl Scriba:1848~1905)はハイデルク大学を卒業したドイツ人外科医。 明治政府からの招きで来日し、東京帝国大学で外科、皮膚科、眼科、婦人科を教え、日本の医学教育に貢献した方です。東大退職後は聖路加病院外科主任を勤め、また植物学にも造詣が深く、日本語で名前を書く時は「須栗場」と書かれた由。 -
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エルヴィン・ベルツ
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学七徳堂前
彫刻:長沼守敬
設置:1907年(明治40年)
エルヴィン・ベルツ(Erwin von Baelz:1849~1913)はライプツィヒ大学医学部を卒業したドイツ人医師。 明治政府に招かれ、東京医学校(現・東大医学部)で生理学・薬物学を教え、東京大学医学部発足と共に内科学、産婦人科学を担当、27年にわたって医学を教え、日本の医学界の発展に尽くされた方です。東大退官後は宮内庁侍医を勤められました。。 -
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佐藤三吉
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学付属病院
彫刻:水谷鉄也
設置:1914年(大正3年)
佐藤三吉(1857~1943)は美濃大垣藩士の子で、東京大学医学部を卒業後ドイツ・ベルリン大学に留学。帰国後は東大の教授となり、講座制になってからは外科学第二講座を担当、医科大学付属医院院長や医科大学学長を歴任した。また、初代日本外科学会会長にも就任しています。 -
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青山胤通
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学付属病院
彫刻:新海竹太郎
設置:1920年(大正9年)
青山胤通(1859~1917)は美濃苗木藩士の子で、東京大学医学部を卒業、ベルツの推挙でドイツ・ベルリン大学に留学。帰国後は東大の教授となり、医科大学付属医院院長や医科大学学長を歴任し、日本の医学界の指導者として医学教育制度、医療制度の整備に尽力された方です。す。 -
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ヒポクラテス
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学医学部
ヒポクラテス(Hippocrates:BC460頃~BC370年頃)は古代ギリシャの医者で、医学を原始的な迷信や呪術から切り離し、臨床と観察を重んじる経験科学へと発展させ、西洋医学に大きな影響を与えたことから「医学の父」「医聖」と呼ばれています。 -
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隈川宗雄
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学医学部2号館
彫刻:朝倉文夫
隈川宗雄(1858~1918)は福島藩の出身で、東大医学部を卒業後、ベルリン大学に留学し内科学を専攻、次いでウィルヒョウ研究所で医化学を研究した。帰国後は駒込病院医長を経て帝大医科大教授となり、医化学(現在の生化学・生理学)講座を担当した方で、1917年から医科大学長を勤められました。 -
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レオポルド・ミュレル
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学医学部2号館
彫刻:朝倉文夫
隈川宗雄(1858~1918)は福島藩の出身で、東大医学部を卒業後、ベルリン大学に留学し内科学を専攻、次いでウィルヒョウ研究所で医化学を研究した。帰国後は駒込病院医長を経て帝大医科大教授となり、医化学(現在の生化学・生理学)講座を担当した方で、1917年から医科大学長を勤められました。 -
画像提供:飯坂陽治さん
下山順一郎
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学薬学部
彫刻:武石弘三郎
設置:1913年(大正2年)
下山順一郎(1853~1912)は尾張・犬山藩士の子で、現・東大医学部の製薬学科で学び、ドイツのストラスブルク大学に留学。帰国後は帝大教授として生薬学講座を開設し、生薬学の基礎を確立した。また、私財を投じ東京・赤羽に研究者向けに大規模薬園を開設するなど薬学教育の発展に力を尽くされた方です。 -
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山川健次郎
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学理学部1号館
設置:2006年(平成18年)
山川健次郎(1854~1931)は会津藩士の子として生まれ、白虎隊の兵士としても戦ったが、後に黒田清輝の支援を得て国費でアメリカ留学に選抜され、イエール大学で物理学を学んだ。帰国後、東京帝国大学で物理学を教え、大学総長となり、学年学級制から科目制の採用などの教育改革や総長公選制の導入などを行った方です。 -
画像提供:飯坂陽治さん
エドワード・ダイヴァース
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学理学部7号館
彫刻:長沼守敬
設置:1900年(明治33年)
エドワード・ダイヴァース(Edward Divers:1837~1912)は英国の化学者で、次亜硝酸塩の発見等の業績を持ち、1873年に工部省に招かれ、工部大学校(現・東京大学)で化学を教え、日本における化学の基礎を築いた方です。1984年には実験中の爆発事故で失明寸前となりましたが、ひるまず研究に打ち込む姿は学生に大きな影響を与えたとのことです。 -
画像提供:飯坂陽治さん
三好晋六郎
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学工学部5号館
彫刻:武石弘三郎
設置:1914年(大正3年)
三好晋六郎(1857~1910)は現・東京千代田区の出身で、工部大学校(現・東京大学工学部)を卒業後、渡欧して英国のグラスゴー・ロバート造船所とグラスゴー大学で造船学、船舶機関学を修めて帰国。工部大学校で造船学を担当し、明治期の日本の造船技術確立と技術教育に尽力された方です。 -
画像提供:飯坂陽治さん
チャールズ・ウェスト
場所:文京区本郷7-3-1 東京大学工学部中庭
彫刻:沼田一雅
チャールズ・ウェスト(Charles D West:1847~1908)はアイルランド人で、ダブリン大学で機械工学を学び、英国のベルケンヘット製鉄所で造船学を習得し来日。工部大学校(現・東京大学工学部)で土木工学科教授として機械工学と造船学を教えた方です。 -
画像提供:林久治さん
島薗順次郎
設置場所:東京大学医学部図書館1階閲覧室
制作時期:1936年11月(還暦祝)
制作者:赤塚秀雄(1894-1988)は東京帝大卒の医師で彫刻家。
設置経緯:島薗順次郎(1877-1937)は和歌山県出身で東大医学部第一内科教授。島薗先生は森鴎外の脚気病原体説に対抗して、「脚気はビタミンB1 の欠乏症である」と学説を証明したことで有名。女子栄養大学を創設した香川夫妻は島薗先生の弟子。 -
画像提供:林久治さん
エルヴィン・ベルツ
設置場所:東京大学医学部図書館1階閲覧室
制作時期、制作者:不明
寄贈時期:1962年
設置経緯:Erwin von Bälz (1849-1913)は東大医学部のドイツ人教師で、1876年に来日して、1905年に帰国しました。もう1体の立派なベルツ像が東大御殿下グラウンド南側にあります。本像は、ベルツ先生晩年の像で、先生の生地BIETIGHEIMの市長マイ氏より日本国際医学協会・石橋長英博士を通じ東京大学に寄贈されました。