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日蓮
場所:大田区 池上本門寺
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力道山
場所:大田区 池上本門寺 力道山墓所
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画像提供:NANAKOさん
熊谷恒子
場所:大田区 熊谷恒子記念館
女流書家。幼少より書をよくし、30代で泰東書道展最高賞を受け、日展の審査員・評議員などを歴任。平安朝の伝統的な書法を体得して、流麗高雅な響きをたたえた独自の仮名の書境を築きあげた。 現代女流かな書の第一人者として活躍。 -
画像提供:しんざえもんさん
渡辺菊太郎
場所:大田区 御嶽神社
神社は、江戸時代の関東での木曽御嶽信仰の中心で銅像は御嶽教の創始者とあります。 -
画像提供:たぐってぃさん
佐伯矩
場所:大田区 佐伯山緑地(佐伯栄養専門学校裏)
日本の栄養学の父。佐伯栄養専門学校を作った人。 -
画像提供:たぐってぃさん
小野藤兵衛
場所:大田区 羽田小学校
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画像提供:たぐってぃさん
良海和上(牧尾良海)
場所:大田区田園調布本町 東光院
東光院の住職
大正大学の学長をされた方。
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画像提供:NANAKOさん
鈴木秀子
場所:大田区 大森家政専門学校
1950年洋裁学校設立、1954年9月大森家政専門学校を創立した、開拓精神旺盛で洋裁技術の発展に貢献。 -
画像提供:NANAKOさん
小松由太郎
場所:大田区萩中2-4-9 ㈱コマツ製作所事務所入口
㈱コマツ製作所創始者。 -
画像提供:林久治さん
額田豊
場所:大田区大森西・東邦大学医学部本館1階ロビー内
設置時期:1995年、高輪プリンスホテル飛天の間にて除幕式
製作者:南雲 龍比古
額田豊(1878-1972)は岡山県出身。一高、東大医学部卒業後、ドイツ留学。1925年に帝国女子医学専門学校(現・東邦大学医学部)を創設し理事長に就任。戦後、新制となって東邦大学が設置されると、初代学長に就任。弟の晋と共に東邦大学の学祖と呼ばれる。 -
画像提供:林久治さん
額田晉
場所:大田区大森西・東邦大学医学部本館1階ロビー内
設置時期:1995年、高輪プリンスホテル飛天の間にて除幕式
銅像製作者:南雲 龍比古(1966- )
設置経緯:額田晉(1886-1964)は岡山県出身。一高、東大医学部卒業後、米国留学。1925年に帝国女子医学専門学校(現・東邦大学医学部)を創設し校長・医学科長に就任。1957年には豊の後任として東邦大学の理事長・学長に就任。兄の豊と共に東邦大学の学祖と呼ばれる。 -
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額田宇多
場所:大田区大森西・東邦大学医学部本館前庭・玄関に向かって右側
設置時期:初代(1935年)、二代目(現在の像:1974年)
設置経緯:額田宇多(1857-1925)は岡山県の生れ。額田兄弟の母。夫・篤太の急逝後、女手一つで額田兄弟ら子供5人を立派に育てた。額田兄弟が女子専門学校を創立したのは、母に対する感謝の念が理由 の1つであるとされている。本館前にある宇多像は、1935年の創立十周 年に学生たちによって贈られたものが初代である。 -
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池上幸健
場所:池上・大坊本行寺
建立時期・制作者:不明
設置経緯:日蓮聖人の晩年(1282年)、体調が思わしくなく常陸の国に湯治に行かれる途中、ここ池上宗仲邸で入滅した。弘安5年(1282年)10月13日、享年61歳でした。宗仲は、館に本門寺を創建しました。本行寺は本門寺の大坊で、ここに聖人が入滅された室があります。幸健氏(1877-?)は池上家の30代当主で、1908年東京帝大農科大学獣医科を卒業して警視庁検査技師となる。1936年に「畜犬行政の明朗化に就て」と題する論文を発表。1944年には「池上新田開発略史」と題する本を発行。 -
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徳富蘇峰
場所:山王蘇峰公園・山王草堂記念館の前庭
制作時期:1958年11月(初代像は1928年5月15日建立)
制作者:高村泰正
設置経緯:徳富蘇峰(1863〜1957) は熊本県出身。明治から昭和期にかけて活躍したジャーナリスト、評論家。1885年にキリスト教受洗。1887年に日本最初の総合雑誌「国民之友」を主宰・創刊。1890年に「国民新聞」を発刊。当初は平民主義を主張したが、後に皇室中心の国家主義思想家として活動。作家の徳富蘆花(1868-1927)は実弟。 -
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日蓮
場所:大田区南千束(洗足池そば)妙福寺
建立時期:1979年10月18日
制作者:老子製作所
寄進者:牧野らく
設置経緯:日蓮聖人の晩年(1282年)、聖人は体調が思わしくなく常陸の国に湯治に行かれる途中、池上宗仲邸に訪問する直前に、ここ洗足池に立ち寄られたそうです。 近くの松に袈裟を掛け、池で足を洗われたという逸話があります。牧野らく女史は、若い頃から日蓮宗の信徒として活動され、この御松庵にご縁があったそうです。七百年遠忌を目標に日蓮聖人像を当地に建立することを計画してきたが、91才にしてやっと、念願を達成したそうです。 -
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覚鑁
場所:大田区田園調布本町35-8東光院
建立時期:1992年9月15日
制作者:不明
寄進者:信徒21人の名前あり
設置経緯:覚鑁上人(かくばん、1095-1144年)は、真言宗中興の祖で、興教大師として尊敬されている。本像は御遠忌850年記念で建立。 -
画像提供:林久治さん
空海
場所:大田区田園調布本町35-8東光院
東光院は真言宗智山派の寺院で、本像は修行大師像で、大師生誕(774年)の1200年を記念して建立。 -
画像提供:林久治さん
池月
場所:大田区南千束2-23-10千束八幡神社
建立時期:1997年10月
馬像原型制作者:佐々木憲章
寄進者:洗足風致協会
設置経緯:池月(いけづき)は平安時代末期の名馬。当時、この一帯は馬の産地であった。1180年、源頼朝が石橋山の合戦に敗れて後、再起して鎌倉へ向かう途中ここ千束郷の大池(今の洗足池)の近く八幡丸の丘に宿営して近隣の味方の参加を待った。或る月明の夜に何処からか一頭の駿馬が陣営に現われ、そのいななく声は天地を震わすほどであった。家来達がこれを捕えて頼朝に献上した。1184年の宇治川合戦で、池月に乗った佐々木四郎高綱と磨墨に乗った梶原源太景季とが先陣を競い、遂に池月が一番乗りの栄誉に輝いたことは有名。 -
画像提供:林久治さん
磨墨
場所:大田区南馬込1-49-1萬福寺
建立時期:1986年、制作者:不明
建立者:萬福寺護持会
設置経緯:磨墨(するすみ)は平安時代末期の名馬。当時、ここ馬込は馬の産地であった。磨墨は当地生まれとか、当地で亡くなったとかの言伝えがある。1184年の宇治川合戦で、池月に乗った佐々木四郎高綱と磨墨に乗った梶原源太景季とが先陣を競い、遂に池月が一番乗りの栄誉に輝いたことは有名。本像は、萬福寺創建八百年を記念して供養のため梶原家ゆかりの当寺に建立。当寺は、1192年に梶原景時(景季の父)が建立したのが始まり。